Blogブログ

2026/11/05 15:37

クマはなぜ戻ってきたのか?




放獣の判断と地域の安全 
そして「駆除は必要なかった」という言葉について

先日書いたブログのニュース記事の続報かと思う。


2026年10月、神奈川県秦野市で捕獲されたツキノワグマが、丹沢山地の奥地へ放獣された後、わずか3日ほどで元の地域に戻ってきた。


そして10月31日、同じ個体が再び捕獲され、安楽殺された。


この出来事について、専門家からは「駆除する必要はなかったと思う」という趣旨の見解も示されている。

もちろん、野生動物をむやみに殺処分するべきではないという考えには理解できる部分がある。

しかし、今回の件については、もう少し考えてみたいことがある。

それは、クマの放獣や駆除の是非だけではない。

その判断を語る人は、どのような場所で暮らし、どのような立場から発言しているのだろうか。

そして、その判断によって生じるリスクを、誰が引き受けるのだろうか。

■ 秦野市で何が起きたのか

まず、今回の経緯を整理しておきたい。

秦野市の発表によると、弘法山公園周辺では10月11日以降、ツキノワグマの目撃や痕跡が相次いでいた。

10月20日、市が設置した捕獲檻でオスのツキノワグマ1頭を捕獲した。

この個体は体長約1.36メートル、体重約101キログラム。

捕獲後、追跡用の機器などを装着し、丹沢山地の奥地へ放獣された。

ところが10月23日、善波峠付近のセンサーカメラにクマが撮影された。

翌24日には、放獣時に装着した機器などから、同じ個体であることが確認された。

市は公園へのアクセス路を閉鎖し、パトロールや警戒を続けた。

そして10月31日、弘法山公園内に設置された捕獲檻で同じ個体を再捕獲した。

市は、短期間で元の地域に戻ってきたことや、住宅地に近く人通りの多い場所であることなどから、人身被害の危険性が高いと判断した。

県との協議を経て、同日、安楽殺という判断に至った。

幸い、この一連の出来事で人身被害は確認されていない。

ここで注目したいのは、山へ放獣したにもかかわらず、短期間で元の地域へ戻ってきたという事実だ。

なぜ戻ってきたのか。

生まれ育った場所だったのか。
餌場や行動圏への執着があったのか。
冬ごもりを前にした移動だったのか。

現時点で、今回の個体が戻ってきた理由を一つに断定することはできない。

専門家からは、生まれ故郷へ戻った可能性があるという見解も出ている。

ただし、戻ってきた理由が何であれ、住宅地や人の利用する公園の近くに再び現れたという事実は変わらない。

■ 「駆除する必要はなかった」という意見について

今回、専門家からは「駆除する必要はなかったと思う」という趣旨の発言があった。

クマが人を襲ったわけではない。
人身被害も起きていない。
冬ごもりを前に元の場所へ戻ってきただけかもしれない。

そうした事情を考えれば、殺処分以外の方法を検討するべきだったという意見が出ること自体は理解できる。

しかし、ここで一つ聞いてみたい。

その「駆除する必要はなかった」という意見を述べている方は、普段どのような場所で生活されているのだろうか。

クマの生息地とは全く無縁の地域で暮らしているのだろうか。

それとも、クマの生息地に近い場所や、日常的にクマの出没と向き合う地域に暮らしているのだろうか。

もちろん、どこに住んでいるかによって意見を述べる権利が変わるわけではない。

都市部に暮らしている人にも、山間部に暮らしている人にも、野生動物の保護について意見を述べる権利はある。

しかし、その言葉の説得力を考えるうえでは、当事者意識の有無は無視できないと思う。

自分の生活圏にクマが現れる可能性があるのか。

家族が通学や通勤で使う道にクマが出没する可能性があるのか。

毎朝、畑や山へ向かう途中でクマと遭遇するかもしれないのか。

そうした状況を日常的に引き受けている人と、そうではない人とでは、同じ言葉を使っていても、その言葉の背景にあるものは違う。

現場で危険を引き受ける人間と、現場から離れた場所で判断を語る人間。

この距離について、私は考える必要があると思っている。

■ 人間社会に置き換えて考えてみる

少し極端な例えになるが、人間社会に置き換えて考えてみたい。

例えば、普段は温厚で、近所の人とも特にトラブルを起こさない人物がいるとする。

しかし、その人物が反社会的勢力と深いつながりを持っていることが分かり、自分の家の隣に住み始めたとしたらどうだろう。

本人は普段から穏やかで、誰かを傷つけたこともない。

だからといって、隣に住む家族が何の不安も感じずに暮らせるだろうか。

子供が一人で外を歩くこと。
夜間に家族が帰宅すること。
何かトラブルが起きたときに、どのような対応を取るべきか。

実際に何かが起きてから考えればいいと言えるだろうか。

もちろん、反社会的勢力と関係があるというだけで、その人物が必ず危害を加えるわけではない。

また、野生動物と人間を同じものとして扱うこともできない。

この例えで伝えたいのは、危害がまだ起きていないことと、危険性が存在しないことは同じではないという点だ。

そして、危険性をどう評価するかという問題と、その危険を誰が引き受けるのかという問題は、切り離せない。

クマが人を襲っていないから殺処分は必要なかったという意見は、一つの考え方だと思う。

しかし、その判断によって再びクマが人里に現れた場合、住民の安全を誰がどのように守るのか。

その答えまで含めて、放獣を支持する意見を聞いてみたい。

■ 現場に暮らす人間にとって、危険は数字だけではない

私は三重県津市美杉町という山間地域で暮らしている。

この地域でも、山と人間の生活圏は明確に分かれているわけではない。

山があり、田畑があり、集落があり、その間を道路が通っている。

日常生活の中で山へ入り、農地を管理し、草を刈り、地域の道を維持する人たちがいる。

その一方で、人口減少と高齢化によって、これまで当たり前に維持されてきた場所が、少しずつ管理されなくなっている。

山と集落の境界も、田畑も、道路沿いも、以前と同じ状態を保つことが難しくなっている。

こうした地域で暮らしていると、野生動物との距離は単純な数字だけでは測れないと感じる。

クマが何メートル先にいたのか。
何回目撃されたのか。
人を襲ったことがあるのか。

それらの情報はもちろん重要だ。

しかし、実際に暮らす人間にとっては、明日の朝も同じ道を通らなければならないという現実がある。

子供を送り出さなければならない。
畑へ行かなければならない。
仕事へ出なければならない。

危険があるからといって、生活そのものを止めることはできない。

だからこそ、現場の安全を考えるときには、実際にその場所で暮らす人たちの感覚や事情を無視してはいけないと思う。

■ 放獣を支持するなら、その後の対応まで考えてほしい

私は、クマを見つけたら何でも殺処分すればよいとは思わない。

錯誤捕獲された個体なのか。
人里に餌を求めて繰り返し現れている個体なのか。
人間に接近したことがあるのか。
住宅地や通学路に近い場所なのか。

状況によって判断は変わるべきだと思う。

放獣によって人との接触を避けられるのであれば、それは一つの有効な選択肢になる。

しかし、放獣した個体が再び人里へ戻ってきた場合、どうするのか。

もう一度放獣するのか。
別の場所へ移送するのか。
捕獲して経過を観察するのか。
それとも、人身被害の危険性が高いと判断して殺処分するのか。

こうした対応を、あらかじめ考えておく必要がある。

放獣することだけを主張して、その後の対応や安全確保については行政に任せるというのでは、現場に負担を押し付けることになりかねない。

もし殺処分を減らしたいのであれば、放獣以外にも、クマが人里へ近づきにくい環境をつくることが必要になる。

誘引物を管理する。
農地や果樹の管理を続ける。
集落周辺の見通しを確保する。
山と人里の境界を維持する。
地域の見回りや情報共有を続ける。

こうした取り組みは、どれも地味で時間がかかる。

しかも、一つの対策をすればクマの出没がなくなるというものでもない。

それでも、殺処分を減らしたいと考えるのであれば、こうした地道な取り組みを避けて通ることはできないと思う。

■ 誰がそのリスクを引き受けるのか

今回の秦野市の事例では、放獣されたクマが再び戻ってきた。

そして、市は人身被害の危険性が高いと判断し、最終的に殺処分を選択した。

この判断が最善だったのかどうかについては、さまざまな意見があるだろう。

専門家の意見も、行政の判断も、地域住民の不安も、それぞれ検討されるべきものだと思う。

ただ、私は一つのことを大切にしたい。

それは、判断によって生じるリスクを、実際にその場所で暮らす人たちだけに負わせないことだ。

「駆除する必要はなかった」と言うのであれば、なぜ必要なかったのか。

再び戻ってきた場合にはどう対応するのか。

住民の安全をどう確保するのか。

そのために何をするのか。

そこまで考えたうえで、意見を述べてほしい。

クマを守りたいという気持ちは否定しない。

むしろ、野生動物が人間の都合だけで命を奪われることがないようにするためには、私たち人間側が考え、行動する必要があると思う。

しかし、野生動物を守ることと、地域住民の生活を守ることを対立させてしまってはいけない。

どちらか一方に我慢を求めるのではなく、両方を成立させるために何ができるのかを考えたい。

自然には、人間の都合に合わせた簡単な答えはない。

だからこそ、現場を知り、現場に暮らし、できることを一つずつ積み重ねていくしかないのだと思う。

殺処分に反対することはできる。

放獣を支持することもできる。

ただ、その言葉に責任を持つということは、現場で起きている問題から目を背けず、解決のための行動にも関わることではないだろうか。

私は、そう考えている。

■ 参考資料

秦野市公式発表
https://www.city.hadano.kanagawa.jp/kurashi-tetsuzuki/seikatsukankyo/3/2/7171.html

タウンニュース
https://www.townnews.co.jp/0610/2026/10/31/860381.html

タウンニュース
https://www.townnews.co.jp/0610/2026/10/27/859253.html

Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6600922

Bushcraft komorebiでは、鹿をはじめとする野生資源の活用や、地域の自然と向き合う暮らしについて発信しています。

商品や活動についてのお問い合わせは、ショップのお問い合わせフォームからお気軽にご連絡ください。