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2026/09/21 07:46

「ツキノワグマは絶滅危惧種だから、日本では無差別にクマが殺されている?」
先日、SNSでこんな投稿を見かけました。
「世界で、ツキノワグマは国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストで『危急種(Vulnerable、VU)』に指定されており、絶滅危惧種です。
日本で無差別的に、クマが命を奪われていることを、世界中の多くの人々に知ってもらわなきゃ!」
さて、これは本当なのでしょうか。
まず、
「ツキノワグマがIUCNでVUに分類されている」
これは事実です。
一方で、
「だから日本のツキノワグマが一律に絶滅寸前である」
「日本ではクマが無差別に殺されている」
というところまで話を広げると、少し注意が必要です。
■ IUCNの「VU」とは何なのか
IUCN(国際自然保護連合)のレッドリストでは、ツキノワグマ(Ursus thibetanus)はVulnerable、つまり「VU」に分類されています。IUCNはツキノワグマを「絶滅のおそれのある種」のカテゴリーに含めています。(IUCN)
つまり、
「ツキノワグマは世界的に見て、絶滅のリスクが無視できない動物である」
これは間違いありません。
ただし、「VU」という言葉から「今にも絶滅する動物」というイメージを持つのは少し違います。
IUCNのレッドリストには、絶滅リスクに応じて、
VU(Vulnerable)
EN(Endangered)
CR(Critically Endangered)
などの段階があります。
そのため、VUは確かに「絶滅のおそれのあるカテゴリー」ですが、それだけで「絶滅寸前」という意味ではありません。
■ 日本のクマを考えるときには「地域個体群」が重要
ここからが、私がこの投稿を見て気になったところです。
ツキノワグマは、日本全国に均一に生息しているわけではありません。
地域によって、生息数も、生息域の広さも、他の個体群とのつながりも違います。
例えば、私が暮らす紀伊半島。
三重県・奈良県・和歌山県にまたがる紀伊半島のツキノワグマは、環境省のレッドリストで「絶滅のおそれのある地域個体群(LP)」として扱われています。(環境省)
環境省のLPとは、地域的に孤立しており、その地域で絶滅のおそれが高い個体群を指します。(環境省)
つまり、紀伊半島のツキノワグマについては、実際に保全を考える必要がある地域です。
ここは軽く考えてはいけないと思います。
■ 「種」と「地域個体群」は分けて考えたい
これは、鹿を見ている人間にとっても重要なことだと思います。
例えば、
「日本に鹿がたくさんいる」
という話と、
「ある地域の鹿が減っている」
という話は、同時に成立します。
同じように、
「世界的にはツキノワグマは絶滅のおそれがある」
という話と、
「日本国内のすべての地域でツキノワグマが絶滅寸前である」
という話は同じではありません。
野生動物を見るときには、
種全体
↓
国・地域
↓
地域個体群
↓
その地域の生息環境
というように、見るスケールを変える必要があります。
■ 「日本で無差別にクマが殺されている」はどうなのか
ここは、もう少し具体的に見てみたいと思います。
今回の投稿で私が気になったのが、「無差別」という言葉です。
「無差別」という言葉には、
「理由や必要性に関係なく、区別せずに命を奪っている」
という意味合いがあります。
では、実際に日本で捕獲されたクマは、すべて同じように扱われているのでしょうか。
2026年に公表された実際の事例を、時系列で見てみます。
■ 2026年1月22日 奈良県五條市
まず、2026年1月22日。
奈良県五條市西吉野町永谷で、ツキノワグマが錯誤捕獲されました。
この個体はオスで、体重82kg。
奈良県の報告書では、捕獲の根拠は「錯誤捕獲」とされ、その後「放獣」と記録されています。
さらに、県職員同行のもと、同一市村内で「学習放獣」が実施されたことも記録されています。(奈良県公式サイト)
つまり、
捕獲された
↓
殺処分
ではありません。
錯誤捕獲されたクマを放獣するという対応が、実際に行われています。
■ 2026年7月9日 奈良県下北山村
次は、2026年7月9日。
奈良県下北山村でツキノワグマが捕獲されました。
この個体も、そのまま殺処分されたわけではありません。
集落周辺ゾーンで捕獲された個体に対して、学習放獣が行われました。
つまり、
捕獲
↓
学習放獣
という対応が実際に選択されています。(奈良県公式サイト)
■ 2026年7月20日 同じ個体が再び捕獲される
ところが、その11日後。
7月20日に、同じ下北山村で再びツキノワグマが捕獲されました。
奈良県の発表によると、この個体は7月9日に捕獲され、学習放獣された個体でした。(奈良県公式サイト)
今回は、前回とは対応が変わります。
捕獲された場所が「集落ゾーン」だったため、奈良県のツキノワグマ保護管理計画に基づき、殺処分となりました。(奈良県公式サイト)
ここで重要なのは、
「捕獲されたから殺された」
という単純な話ではないことです。
一度目は学習放獣。
その後、同じ個体が再び集落ゾーンに出没し、再捕獲。
そして、その状況を踏まえて殺処分。
という経過があります。
■ 捕獲されたクマが、すべて同じ扱いを受けているわけではない
この3つの出来事を並べるだけでも、実際の対応には違いがあることが分かります。
【2026年1月22日】
五條市
↓
錯誤捕獲
↓
学習放獣
【2026年7月9日】
下北山村
↓
捕獲
↓
学習放獣
【2026年7月20日】
下北山村
↓
7月9日に学習放獣された個体を再捕獲
↓
集落ゾーンでの捕獲
↓
殺処分
少なくとも、この事例を見る限り、
「日本ではクマを無差別に捕まえて、すべて殺している」
という説明は、実際の対応を正確に表しているとは言いにくいでしょう。
■ なぜ対応が分かれるのか
もちろん、ここには議論すべき問題があります。
学習放獣は本当に効果があるのか。
どのような個体なら放獣できるのか。
再び人里に出てきた場合はどうするのか。
どこまでを「人間の生活圏」とするのか。
人身被害が発生する可能性を、どのように評価するのか。
こうした問題については、検証や議論が必要だと思います。
しかし、それと、
「無差別に殺している」
という表現は別の話です。
実際には、捕獲された個体の状況や場所、捕獲の理由などによって、その後の対応が分かれています。
■ 「無差別」という言葉について
ここまで実際の事例を見て、私は今回の投稿にある「無差別」という言葉には、少し個人の感情や評価が入り込みすぎているのではないか、と感じました。
クマを心配する気持ちそのものを否定するつもりはありません。
ツキノワグマはIUCNでVUに分類されていますし、紀伊半島の個体群も環境省のレッドリストでLPとされています。
保全を考えることは、とても大切なことです。
ただ、
「なぜ捕獲されたのか」
「どの地域で起きたのか」
「どのような個体なのか」
「捕獲後に何をしたのか」
「なぜ放獣ではなく殺処分になったのか」
そこまで確認してから判断する必要があるのではないでしょうか。
■ 野生動物の問題は、単純な善悪では語れない
私は鹿を捕る側の人間です。
だからこそ、野生動物の問題を、
「動物を守る人」
対
「動物を殺す人」
という構図だけでは見たくありません。
鹿でも同じです。
増えすぎれば森林や農地に影響が出る。
しかし、だからといって「鹿なら何でも捕ればいい」という話にもなりません。
どの地域に、どれくらいいるのか。
何が原因で増えているのか。
どの程度の捕獲が必要なのか。
捕獲した個体をどう扱うのか。
そして、その地域の生態系がどう変化しているのか。
そういうことを一つずつ見ていく必要があります。
■ クマを守ることと、人間の暮らしを守ることは対立するのか
私は、必ずしもそうではないと思っています。
クマが生息できる森が残っていることは、森そのものが健全であることの一つの指標になります。
一方で、クマが人間の生活圏に入り、人身被害が発生すれば、住民の安全を守ることも当然必要です。
だから必要なのは、
「クマを守るか、人間を守るか」
という二択ではなく、
「どうすればクマが生息できる環境を残しながら、人間との衝突を減らせるのか」
という話なのだと思います。
■ 正しい情報から考えたい
今回のSNS投稿には、
「ツキノワグマがIUCNでVU」
という重要な事実が含まれています。
一方で、
「だから日本では無差別にクマが殺されている」
という部分は、IUCNの評価そのものから導かれる話ではありません。
そして、実際の2026年の事例を見ても、捕獲されたクマがすべて一律に殺処分されているわけではありません。
事実と、その事実から導いた意見。
この二つは分けて考えたほうがいいと思います。
野生動物の問題は、感情が動くテーマです。
だからこそ、
「かわいそう」
「危険だ」
「守るべきだ」
「駆除すべきだ」
と結論を急ぐ前に、
「実際に何が起きているのか?」
を見る。
私は、野生動物と暮らす人間として、そこを大切にしたいと思っています。
クマも、鹿も、人間も。
同じ地域の中で生きています。
だからこそ、感情だけではなく、現場とデータの両方を見ながら考えていきたいと思います。
「かわいそうだから」でも、
「危険だから」でもなく、
まず何が起きているのかを知る。
野生動物の問題では、そこから始めることが大切なのではないでしょうか。
■ 参考資料
・IUCN(国際自然保護連合)
「The IUCN Red List of Threatened Species」
ツキノワグマ(Ursus thibetanus)のレッドリスト評価
※ツキノワグマをVulnerable(VU:危急)として評価。
・IUCN
「IUCN Red List Categories and Criteria」
レッドリストカテゴリーおよび評価基準
※VU・EN・CRなど、絶滅リスクのカテゴリーについて参照。
・環境省
「レッドリスト・レッドデータブック」
環境省レッドリストの概要、評価基準等
※レッドリストは生物学的な絶滅リスクを評価したものであり、掲載そのものが捕獲規制等の直接的な法的効力を持つものではないことについて参照。
・環境省 近畿地方環境事務所
「大台ヶ原地区におけるツキノワグマ出没情報」
※紀伊半島(三重県・奈良県・和歌山県)のツキノワグマが「絶滅のおそれのある地域個体群(LP)」として環境省レッドリストに掲載されていることについて参照。
・奈良県
「奈良県ツキノワグマ保護管理計画(第6次計画)」
※ツキノワグマの保護・管理におけるゾーニングや、捕獲後の対応について参照。
・奈良県
「令和7年度ツキノワグマモニタリング報告書」
※2026年1月22日に五條市で錯誤捕獲されたツキノワグマについて、学習放獣された事例を確認。
・奈良県
「ツキノワグマに関する報道発表」
令和8年7月9日および7月20日の下北山村におけるツキノワグマ捕獲事例
※7月9日に捕獲・学習放獣された個体が、7月20日に再捕獲され、集落ゾーンでの捕獲であったことから殺処分された事例について参照。
・三重県
「三重県ツキノワグマ管理計画」
※錯誤捕獲について、原則として放獣する方針、および人身被害防止の観点から放獣が困難な場合の対応について参照。
・三重県
「錯誤捕獲されたツキノワグマを学習放獣しました」
令和6年7月6日
※三重県紀北町において、ニホンジカ用の箱わなに錯誤捕獲されたツキノワグマを学習放獣した事例について参照。
※本記事では、SNS上の投稿内容そのものについて、その投稿者の意図や人物を評価するものではありません。公的機関が公表している資料をもとに、野生動物の保護・管理と捕獲後の対応について整理しています。
